週末に5年ぶりにJA2JW星山さんの所にChallenge3000達成のお祝いに、昔の仲間と訪問した際に、例によって、最近の技術屋は、、、で盛り上がりました。
マイクロ回線も、光ファイバーに置き換えられ、殆どバックアップ用途しかないし、NTTでも電波屋は激減しているみたいですねー。 ニーズとしては携帯の電波だけ? 高々500m飛べばよい電波なんて電波屋の仕事? 従事者免許も、ひょっとして、電子工作(設計)の詳細が分からなくても取れるのかな?最近は、、、。 あ、CWも要らないんだっけ、、、。
そんな話をしていたら、星山さんから「昔は従事者免許に有効期限が記載されていた」という話があり、奥の方から昔の従事者免許証を出してきて見せてくれました。 昭和30年代まではプロもアマチュアも5年の有効期限だったのですね。 もっとも、その後、終身になり更新しなくても古い従事者免許証は使えるみたいですが、それでも有効期限切れの免許証は、ちょっと。 終身免許証も未だに高校生だったり大学生だった頃の写真が貼ってあるのは、一寸気恥ずかしい。 紛失したことにして、今時の運転免許証みたいなカードにしようかな?と思っていましたら、番号が変わるんだそうで(末尾にハイフン、番号が付く)止めました。 年々、免許証の紙が薄っぺらになっていて、星山さんの昭和30年代の免許証は厚くて立派! 帰宅して自分のを見ても最初の電話級が一番立派で、最後の1アマは見開き1枚のラミネート紙、、、。
まだ、台風の雨が時折降っていましたが、星山さんが静岡ポケットベルの時に、洪水がありポケベルが泥水に水没して、一台一台基板を水洗いして、乾かして、一部の部品交換をして再生させ、天下りの上司がびっくりした、といった話をしてくれました。 当時のポケベルは基板から部品外して交換できるほど大きかったんですね。
放送関係の仲間から「最近は、故障したら交換。壊れたやつは廃棄。電源入れたまま交換(活線交換)が普通」なんて話が出て、「故障個所を見つけて修理しよう」等と殊勝なことを考える人もおらず、「今までご苦労さん」という気持ちもなく、ごみ箱へ直行なんだそうです。 何と寂しい時代だろう。 EngeneerならぬChangeneerとはよく言ったものです。 「お、放送局の粗大ごみ漁ると、何かいいもの見つかるかも」、と昔の行動様式がムラムラと蘇るなー。
電子少年が減り、昔から馴染みの電気屋さんが無くなってゆく中、最近はマルツが元気ですが、マルツって何故福井で始まったの?特別な需要もないのに、、、と思ってググってみましたら、昭和22年に電球の行商で始まった会社なのですね。 その頃は同じような街の電気屋さんは数多あったはずですが、時代の荒波を上手に乗り越えて、コツコツと地道に積み上げてきたようです。 流石、福井の商人。
星山さんの所に行くと、いつも「昔俺がいないときに来て、お袋に、ある場所知っていますから、と勝手にシャックに上がって何かしていた」と言われるのですが、QSTを見たくてお邪魔していて、電車賃が勿体ないので、20Km程かな、国道1号線をチャリンコで通っていたので、手ぶらでは帰れない中学生だったんです。
しかし、その頃はエネルギーあったんですね。 CQ誌のDX欄エディターとしての星山さん宅の訪問記事が出ていて、それを見て場所を見つけて(Google mapもなかった時代に)飛び込みで訪問して以来のお付き合いですが、考えてみれば、坊主頭の中学生がいきなり飛び込んできて、よく相手にしてくれたものです。 感謝感謝。
楽しい3時間を過ごしました。
マイクロ回線も、光ファイバーに置き換えられ、殆どバックアップ用途しかないし、NTTでも電波屋は激減しているみたいですねー。 ニーズとしては携帯の電波だけ? 高々500m飛べばよい電波なんて電波屋の仕事? 従事者免許も、ひょっとして、電子工作(設計)の詳細が分からなくても取れるのかな?最近は、、、。 あ、CWも要らないんだっけ、、、。
そんな話をしていたら、星山さんから「昔は従事者免許に有効期限が記載されていた」という話があり、奥の方から昔の従事者免許証を出してきて見せてくれました。 昭和30年代まではプロもアマチュアも5年の有効期限だったのですね。 もっとも、その後、終身になり更新しなくても古い従事者免許証は使えるみたいですが、それでも有効期限切れの免許証は、ちょっと。 終身免許証も未だに高校生だったり大学生だった頃の写真が貼ってあるのは、一寸気恥ずかしい。 紛失したことにして、今時の運転免許証みたいなカードにしようかな?と思っていましたら、番号が変わるんだそうで(末尾にハイフン、番号が付く)止めました。 年々、免許証の紙が薄っぺらになっていて、星山さんの昭和30年代の免許証は厚くて立派! 帰宅して自分のを見ても最初の電話級が一番立派で、最後の1アマは見開き1枚のラミネート紙、、、。
まだ、台風の雨が時折降っていましたが、星山さんが静岡ポケットベルの時に、洪水がありポケベルが泥水に水没して、一台一台基板を水洗いして、乾かして、一部の部品交換をして再生させ、天下りの上司がびっくりした、といった話をしてくれました。 当時のポケベルは基板から部品外して交換できるほど大きかったんですね。
放送関係の仲間から「最近は、故障したら交換。壊れたやつは廃棄。電源入れたまま交換(活線交換)が普通」なんて話が出て、「故障個所を見つけて修理しよう」等と殊勝なことを考える人もおらず、「今までご苦労さん」という気持ちもなく、ごみ箱へ直行なんだそうです。 何と寂しい時代だろう。 EngeneerならぬChangeneerとはよく言ったものです。 「お、放送局の粗大ごみ漁ると、何かいいもの見つかるかも」、と昔の行動様式がムラムラと蘇るなー。
電子少年が減り、昔から馴染みの電気屋さんが無くなってゆく中、最近はマルツが元気ですが、マルツって何故福井で始まったの?特別な需要もないのに、、、と思ってググってみましたら、昭和22年に電球の行商で始まった会社なのですね。 その頃は同じような街の電気屋さんは数多あったはずですが、時代の荒波を上手に乗り越えて、コツコツと地道に積み上げてきたようです。 流石、福井の商人。
星山さんの所に行くと、いつも「昔俺がいないときに来て、お袋に、ある場所知っていますから、と勝手にシャックに上がって何かしていた」と言われるのですが、QSTを見たくてお邪魔していて、電車賃が勿体ないので、20Km程かな、国道1号線をチャリンコで通っていたので、手ぶらでは帰れない中学生だったんです。
しかし、その頃はエネルギーあったんですね。 CQ誌のDX欄エディターとしての星山さん宅の訪問記事が出ていて、それを見て場所を見つけて(Google mapもなかった時代に)飛び込みで訪問して以来のお付き合いですが、考えてみれば、坊主頭の中学生がいきなり飛び込んできて、よく相手にしてくれたものです。 感謝感謝。
楽しい3時間を過ごしました。
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