2009年4月27日月曜日

清水区興津

天気が良いので、由比海岸から見た富士山の写真が取りたくて、246で清水方面へ、、、。
あれ、富士山ご機嫌ななめで、お隠れあそばしている!! 2時間ほど遅くて富士山は見えなかったので、しょうがない、生まれてから高校まで過ごした清水区興津の街を昔の記憶をたどりながら走って見ました。 
興津小学校: 明治時代に出来た低学年の時過ごした校舎は流石にありませんでしたが、5ー6年生の時の鉄筋の校舎は健在だった(もう50年位経っていると思うのですが、、、)。
興津中学校: 「こんな所にも学校は作れるんだよ」という山の斜面に作られたモデル学校でしたが、流石に全面的に建て替えられていて、面影はありませんでした。 ずいぶんカラフルな建物になっていた。
清水東高校: あまり変わっていないなー、、、。

しかし、都会でばかり生活いている所為か画面全体がとっても平べったく感じました。 それと、旧国道1号線を走りましたが、これが昭和30年代の国の大動脈だったなんて、今となっては信じられないですね。 交通量が多くて、渋滞が酷くて、小学生の頃は、同級生とか家族が交通事故の被害に遭うことが結構あったのを覚えています。 そして、テレビの水平出力管を使ったリニアアンプでコンテストに参加していると、必ず28Mhzでフルスイングすると、球が解けちゃって、21、14に出れないので、10時くらいには車で静岡まで球を買いに行っていました。 これで、渋滞に巻き込まれて14も21もマトモには参加できず、悔しくて、4ー400Zのリニアを作るきっかけになったのです。

さった峠の上に何か建物が出来ていたけど、あれは何だろう? (なんか、あそこに建物があるのは悲しいなー)

大きさが小さくて、高さが低くて、道が狭くて、子供の頃に過ごした所は、大人になって訪れてみるとずいぶん違う印象を受けます。 色々な思い出が湧き上がるような数時間でした。 富士山隠れていてありがとう!!

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